天安門事件 1989年4月6月


1989年4月6日 世界を震撼させる映像が世界中を駆け巡りました。一人の男性が戦車の前に立ち、その行軍を阻止しようとする映像です。1989年に発生した中国の民主化運動を現す象徴的な映像です。しかし、それは中国共産党による民衆弾圧を鮮明に表す映像ともなりました。中国人民軍は守るべき市民に銃を向け、発砲し、市民の民主化と希望を武力で弾圧しました。

この市民弾圧での正確な死者は現在でも正式には発表されていません。ただ、残された報道写真を見る限りでは、多くの人が犠牲になっていることは簡単に推測する事ができます。

中国政府による市民弾圧をこのページに記録する事で、この事実をより多くの人に知ってもらう事ができれば幸いです。

天安門事件
中国北京の天安門広場において起きた民衆の抗議運動。

1976年の第1次天安門事件と1989年の第2次天安門事件がある。1976年4月5日、天安門広場において、文化大革命に批判的な民衆が抗議行動を起こし、北京当局と衝突した。(第1次天安門事件)

文化大革命が否定される中、1981年に中国共産党主席に就任した胡耀邦は、思想解放を掲げ、改革を推進したが、反発を受け、1987年に失脚した。
その後、1989年4月に死去した胡耀邦の追悼行事が天安門広場で行われ、これを非難する当局に対して、学生や市民の抗議運動が広がっていった。
1989年6月4日、天安門広場において、民主化を求める学生や市民に対して人民解放軍が武力弾圧する事態となった。(第2次天安門事件)

欧米諸国は、中国の人権抑圧を厳しく非難して、経済制裁措置をとった。
※現代政治用語辞典より抜粋



※このページには死体を含む残虐な画像コンテンツが含まれます。ご注意下さい。



天安門事件の現実
自由への探求運動
市民と人民軍の対決
市民抑制
中国共産党による虐殺
抗議運動の拡大

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